私の名前 本名の「なおみ」には 漢字が使われていません。
       小学校で漢字を習う時に、お友達は習った漢字から自分の名前は漢字で書き始めます。
       でも、ひらがなの名前だといつまでたっても漢字と違って ワクワク感がありませんでした。

        
「ひらがなに意味はないのですか?」と、
       学校の先生に尋ねれば、「ないのです。」、そう聞いていました。
       なんだか・・・おかしい!? 意味が無いものを書いているなんて。記号だけ?
       「なんで?」「どうして?」とすぐに聞きたがる子でしたので、親にも何故ひらがなにしたのかと
       聞くと、

        祖父の妹の夫が生命保険関係の仕事柄、姓名判断や名付けをする方で、
       また書道塾の先生もしていたそうですが、
「NAOMI」 は、世界にも通用する名で、ひらがなだと
       日本らしく柔らかい雰囲気で、結婚して姓が変わってもなじみ易いからと勧めたらしく、おまけに、
       結婚は見合いがおススメ!なんて、小さい頃から聞かされいていました。

        今思えば 私の名付けに関わっていただいた、この親戚の叔父さんの人生も、、ちょっと影響ある
       のかしら?と、
『名前のことだま®』を学び、あらためて思い出しました。



          


        4歳の頃からお世話になった習字教室の先生に、低学年の頃聞いた時に、
       
「ひらがなになった元の漢字はあり、意味もあるよ」と教えていただき、私が高学年になった頃には、 
       書道の作品展に飾る清書の時、
「奈緒美」と、漢字を当てて名前のお手本を書いて下さいました。

        「奈緒美」、
       「“お” は、本当は違う字だけど名前には向かないのでこれでどう?」
       実際数年間、隷書体や篆書体などの漢字作品の時はこの名前を書いていました。
       また、先生は、大学入学の頃に 
『春葉』 と、雅号をつけて下さいました。

        春峰(しゅんぽう)先生の 「春」の字をいただき、「5月生まれで、そして、新緑の季節の緑色は
       自然を、葉を広げて成長しなさい。「よう」 の音の響きはやわらかい感じがしていいのでは?」と、
       奥様や、書道の先生をされておられる娘さん、ご家族皆さんで、考えて下さったそうです。

        こうして、わたしの二つ目の名前は、待望の漢字の名前となりました。
       言の葉の「葉」でもあり、小学1年の時から文通好きの私がいっぱい書いた葉書きの「葉」でした。

        幼い頃に、父が書いていた仮名書道のかな文字を見ても読めず、父親に尋ねれば、
       父親は、「これが日本の昔の文字だよ。」と教えてくれましたが、当時の私には、読めません。
       父親の書が、上手いのか下手なのか、わかりませんでしたが、すらすらと、のびやかな、きれいな線と、
       美しい紙に書く、
『和文化がある』ということは、わかりました。

        高校の授業で、初めて仮名文字を書き、ひらがなの字母を知り、
       大学で文学部日本文学科の授業や仮名の授業の中で、大和言葉に出会った時は、仮名書道として
       
       
『読み解き書く』という必然性も背景にあり、万葉仮名・変体仮名、ひらがな、カタカナ・・・中国から輸入
       した漢字から、日本独自の文字を造り上げたことを知り、あらためて、感動しました。




           


       私の人生には、
       
『書との出会い』、『先生との出会い』、「多くの方々との出会い』があった中で、
       (前述の)4歳の頃からお世話になった習字教室の先生に、低学年の頃
「ひらがなになった
       
元の漢字はあり、意味もあるよ」と、教えていただき、気になりながらも、先生は他界され、
       『もっと深く、言葉自体が持つ意味、大意を教えていただけばよかった』と、後悔もしました。

        仮名書道教室で、習った作品としての効果的配列、字選びは、創作的に大変な作業
       「ここでこの変体仮名を使って いいのかしら?」、「歌意に合っているのかしら」という疑問、
       もともとの言葉の意味をもっと知りたいと、いう思いは強くなっていました。





   そんな中で、勤めていた学校現場から
  一旦離れた2006年に、山下弘司先生に出会い、
  勉強会に参加し、ひらがな50音の意味を教えて
  いだだきました。「手放すと入ってくる」法則です。

   名前の使命を知り、
  私の天職は、

  「学んだことを 感動と共に 教えること」

  私の使命は、
  「人のやるべき 夢をみつけること」と確信しました。